人の背中で神経衰弱をしてはいけない

時は遡ることおよそ2000日前。26歳の筆者が20歳の頃の話です。

僕たちはマスク不要のキャンパスライフを送っていました。手洗いうがいは特にせず、飛沫だらけの宴会場。緊密に談笑する喫煙所からふと目を逸らせば、接触しまくりのボーイミーツガール。いま考えると信じられないような自由な時間です。

しかし僕自身は、コロナのコの字も知らないはずなのに、ひとりでに人込みを避け、木陰で安い安い菓子パンを「黙食」をするタイプの人間でした。

要するに友だちが少なかった。そういう人間が大学に通う。とても寂しい。

すると、恐ろしいことが起きます。「大学に足を運ぶ」という学生にとって最も基本的な習慣が疎かになってしまいまうのです。

友だちが居ないと授業に行きたくなくなる

友だちが少ない。となると苦痛になるのが大教室の授業です。

大教室の授業はとにかく騒がしいというのが常です。特に僕は大したレベルの大学ではなかったので、とにかくうるさい。1回生2回生が対象の「5別教室」の授業は、もはや「そういうフリー素材音声なのかな?」と思うレベルです。

正直、あんまり授業を受けられる環境ではない。しかし出席だけはしないといけない。じゃあ自分も誰かと雑談すればいいのだけれども、そんな相手は居ない。同じ学部に友だちがほとんど居なかったからです。(僕が単位を落としまくるもんだから、同期の友人はもうそこには居ないのです)

行きたくない。

本当に行きたくない。

でも授業には行かないと単位が取れない。

そこで僕は新たな「ゲーム」を習慣にすることで解決を試みました。

大学でオンライン授業が始まったけれど、これが苦痛でたまらない!という人は参考にしてみてください。

さあ、引き続き陰気でジメジメした話が続きます。お付き合いください。

服装神経衰弱とは…?

孤独に耐えかねた僕は大教室の講義で後ろの方に席を陣取り、「人の服装を使って神経衰弱する」という陰湿さを陰湿さで煮詰めたような遊びをするようになります。

流行りの服はマッチング率が高いから1pt。全く同じ服ならば5pt コーディネートまでバッチリかぶってると7pt みたいな、そういう取り組みです。

いまであれば「オープンカラーシャツ:1pt」「血行が心配になるくらいのスキニージーンズ:逆に3pt」「ポムポムプリンのリュック:1000pt] という具合でしょうか。カズレーザーみたいな全身1トーン人間を見つければ、それだけで高得点、というような自分ルールを作っても良いでしょう。視界の中で同じコーディネートの2人を見つけては机の下で小さくガッツポーズしていたものです。

その教室の人間の服の傾向を理解しようとして、レアリティを加味してポイントを調整する。そしてこのポイントに応じた得点を自分の中で計算していく。恐ろしいことに、これだけで10分や20分は簡単に溶けて行ってしまいます。授業の内容はもうほとんど頭に入ってきませんが、もとよりあんまり頭には入ってこないので問題ありません。

基本的には人を外見で判断し、その没個性を嘲笑する傾向にある遊びなので、あまり良い趣味ではないです。振り返って考えると本当で失礼で浅はかだったなと自戒しています。先ほどは「参考にしてみてください」と書きましたが、みなさんは絶対にマネしないでください。約束です。

自分次第で「つまらない」を回避する

あんまりにもあんまりな内容なので、神経衰弱の話題はこの程度にしておきます。

きょう僕が強調したいのは、「なんてことない日常にも法則性がある」「この法則性を確かめる作業が習慣化につながるかも?」ということです。

気乗りのしない勉強や仕事も、マイルールや独自の遊びでなんとかなる可能性がある。

たとえば英単語の学習だって、アプリで「ゲーム」になっていればある程度楽しんでやることができますよね。そうしたゲーム要素を、人に提供されるのを待たずして自分で作ることが大切なのではないかなと思います。

朝起きれないとしたら、朝起きれない友達と一緒になって「天気の予想」で対決してみたり。普通に予想しあうだけではモチベーションにならない、というのであれば負けたほうにペナルティを課してみたり。何にこだわるのかは自分次第です。自分で設定したルールをある程度の回数や期間まで守り続けると、そのルールが持つ力はどんどん強くなります。ついつい守りたくなるような中毒性のある規則に育てることができます。

つまらない仕事、やる気の出ない作業。そういったものも、自分の工夫次第で楽しいゲームに変換できるかもしれないのです。